あ、と声が出たのは同時だった。 それもそのはず、鏡合わせのようにそっくりなやつが同じ品物へ手を伸ばしたからだ。 スーツ姿の彼はおれと瓜二つな顔をしていたが、少しばかり年上に見える。彼は何も言わずにおれが取ったのと同じ商品を手に取り、レジに並んだ。
「貸せよ、俺が出す」
彼はぶっきらぼうにおれの手から品物を奪い、そのまま自分のビールやら何やらと一緒に会計を済ませた。店の自動扉を抜け、彼はすぐそばの花壇に腰掛ける。
「はじめまして、でいいのかな?俺は金田一ハジメ。37歳だ」
「おれ……おれも、金田一ハジメ。17歳」
ふたりで顔を見合わせて、ぶっと同時に吹き出した。
37歳のおれが現れた。ドラッグストアで、よりにもよって同じ商品に手を伸ばすというベッタベタな出会い方だ。37歳はレジ袋から目隠しの紙袋に包装された品物を出し、おれに向かって放り投げた。
「ホレ、お前の分」
「ありがとう」
袋越しに分かる、四角い箱の感覚。なんてことはない、いわゆる避妊具だ。 20年後の自分が突然目の前に現れて同じ避妊具に手を伸ばした。その事実はひとつの推測を生む。
「あんたもそんな物買うってことは、あの人とまだ繋がってるってこと?」
「うん? まあ……どうかな」
彼は困ったように天を仰いだ。わずかにズレたシャツの襟首から赤紫の所有痕が覗く。 もう消えかけのものもあれば、鮮明な内出血になっているものまで色々だ。
「Lサイズのゴム買わないといけないような相手を取っ替え引っ替えしてんなら、おれもちょっと色々考えるよ」
「冗談。相手はまぁ、その、明智サン」
彼は、恥ずかしそうに頬を掻いた。
「そう考えたらもう出逢って20年になるんだな」
「20年、」
途方もなく長い月日に感じられた。自分は今17歳。頭の中で10以上歳上の恋人を思い描く。彼と今後、今まで生きてきた分以上の時間を共有することになるのだろうか。あるいは途中で途切れて、ふたたび始まるような関係かもしれない。
20年後の自分は少しくたびれて見えた。まさか背景にキラキラを背負えとまでは言わないが、どうやら未来は楽観し過ぎるべきものではないらしい。
「なぁ、幸せか?」
思わず口から出た言葉に、彼は目を丸くして苦笑する。
「色々あるよ。大変なことも、色々たくさん」
彼は遠くを見つめている。自分の知らない、これまでの20年。これからの20年。 しばらく過去を想い巡らせた後で、彼は唐突ににっこりと笑った。
「イッコだけいいこと教えてやる。明智サンは20年後もすごいカッコイイまんまだ」
「なんだ、それ」
「そんなこと言って、おまえもあの顔わりと気に入ってんだろ」
37歳はニヤニヤとおれを見る。こいつ、20年前の自分をからかって一体何が楽しいの だろう。
「さ、未成年はもう帰れよ。今日はあの人ん家の日だろ?あ、俺に会ったこと明智サンには言わない方がいいよ。て言っても、ムダかもしれないけどな」
未来のオレは手を振りながら裏通りへ消えていった。
「おじゃまします」
「遅かったですね、金田一くん」
扉を開けると、玄関までよい香りが流れ込んできた。明智さんはキッチンから出てきてすぐおれの手にある小包に目ざとく気づき、やれやれと肩をすくめた。
「あなたはまたそんなものを買ってきて、」
「もうすぐ無くなりそうだったから」
「後で代金を支払います」
「いいよ、買ってもらったものだし」
自分の失言に気付いた時にはもう遅い。一時停止ボタンを押したように、ピタリと明智さんの動きが止まる。
「今、なんて言いました?」
「ゴメンナサイ、ワスレテクダサイ」
「金田一くん、」
「しらないおじ……お兄ちゃんに、」
「金田一くん!」
「ウソウソ! ほんとはさ、信じてくれないかもしれないけど……」
明智さんはもちろん、おれの話を信じなかった。新手のナンパだとか、地獄の傀儡師が糸を引いているだとか、あれこれと疑って忙しい。
37歳の自分と出会うなんて、信じるほうが馬鹿げてる。でも、自分には分かるのだ。 推理の時もアテにしている直感が、あの彼は20年後の自分だったと言っている。
幸せかと尋ねた時、彼は肯定も否定もしなかった。
「聞いていますか、金田一くん」
明智さんは形の良い眉をしかめ、間合いを詰めてきた。シャツの上にエプロンを掛けた明智さんは、絵に描いたようにかっこいい。
思い切って広い胸に飛び込めば、彼はよろめくことなく受け止めた。食べ物に熱を通した甘い匂いの中に、明智さんのやさしい香りが混じっている。
やれやれと呆れつつ彼はおれの背中を上下に撫でた。デカイ手のひらの感覚が背中を通して伝わってくる。絶対に言ってやんないけど、おれはこの手がだいすきなんだ。
「明智さん、おれがダメになってもアンタはアンタのままで居てよね」
「……キミの楽天家ぶりからすると考えられない話ですね。しかし、いいでしょう」
彼は最後におれの背中をポンっと軽く叩いた。上を向けば、期待どおり柔らかいくちびるが降ってきて、あまくあまく吸い上げられる。
深追いしてきもちよくなる寸前に明智さんは身体を離した。夕食にしましょうと小さな声で言って、困った顔でズレたメガネを直す。
「私はキミに説教をしていたはずなんですよ、金田一くん」
「まぁまぁ、いいじゃん。おれ、明智さんとは楽しい話しかしたくないしさ」
「また調子のいいことを」
呆れたような言葉とは裏腹に、明智さんはおれの頭をやさしくかき混ぜた。それは慈愛に満ちていて、ひたすらに心地よい。なにも言わなくったって彼は分かってくれるのだ。心の深い場所に不安が芽生えても、こうやって癒されたら元の静けさを取り戻す。
これから先何が待ち受けているのだろう。どんなことがあるにせよ、目の前の男とは20年後も関わり合いがあるらしい。 何かを乗り越えるにはそれで十分な気がした。