マギ - 2/2

12月24日。こんな日に出かけては明智の行きそうな店は浮ついたカップルばかりで居心地が悪いんじゃないかと危惧していたハジメをよそに、男が暖簾をくぐった先は気安い雰囲気の串揚げ屋だった。こぢんまりとした橙色の照明が灯る、居心地の良いつくりの店だ。

楽しい時間はあっという間に過ぎ去るものだ。満腹で動きの鈍くなったハジメを乗せた高級車は、ハジメの家へ向かう道を進んでいく。

「吸引力の変わらないただ一つの掃除機という謳い文句の製品がありますが、きみの食べっぷりはまさにその様相でしたね」
「へへっ。お褒めに預かりコウエイです」

ハザードランプを点滅させ、明智はハジメの自宅前に車を横付けした。そのまま後部座席を振り返り、ビニールバッグを取り出してみせる。
「これはクリスマスプレゼントです。イヴに呼び出して申し訳ありませんでしたね。といっても、きみに予定などあるはずもありませんが」

いつもなら噛みつき返す明智のイヤミ節に、ハジメは居心地悪く座り直した。
「あのさ、おれもあるんだ、クリスマスプレゼント。ちょっと待って」
明智を遮って、ハジメはカバンをゴソゴソと漁る。差し出された紙包に、大の大人はキョトンとする。それが伝統ある百貨店の包み紙であったからだ。

「開けてもいいですか」
戸惑いながらも問いかける明智へ、ハジメはコクリと頷いた。明智の美しい指先によって、丁寧に施されたラッピングが紐解かれる。クリスマス仕様の赤い紙包の中から、よい香りの吹き付けられた箱が顔を出した。しっかりした作りの箱を開封し、手のひらに出てきたものに明智は素直に目を丸くする。

「金田一くん……驚きました。すごくすてきです」
明智は濃紺の革を指先で撫でた。銀縁の眼鏡を外し、開封したばかりのそれへ慎重に入れてみせる。
「サイズもピッタリですよ。……野暮なことを言って申し訳ありませんが、高かったでしょう」
「ん、でもなんか、あんたに似合うかなぁって思っちゃったから、」

ハジメは明智の視力が悪いことに感謝した。視力を弱点とする彼が裸眼の今なら、どんなに頬を染めていてもバレないような気がしたのだ。
明智はメガネを入れたまま何度かケースを開け閉めし、裸眼の顔でハジメを見るとふわりと微笑む。
「ありがとうございます。本当に、すごく嬉しいです。大切にしますね」

明智はメガネケースから眼鏡を取り出し、装着する。飽きずにケースを眺めては、指先でスルリと撫でる。ハジメはその指先の動きから思わず眼を背け、マフラーの中に顔を埋めて上した頬を誤魔化した。モジモジと居心地悪くたじろぐハジメに気付くことなく、明智はほのかに紅潮した頬のまま眉尻を下げる。

「なんだか予想外のプレゼントで、申し訳ない気持ちになってきました。今日は最後にきみを子ども扱いして、からかってやるつもりだったんです。こんなことになるなんて。すみません、つまらないものですが、私からのプレゼントです」
ハジメは明智からのプレゼントを受け取った。
「開けてもいい、」
「……どうぞ。すみません、私が意気地なしでした。本当に、ああ、やり直したい」
訳の分からないことを並べる明智に気を留めつつ、ハジメはビニールバッグの封を開けた。

「あ、」
「きみが最近、最新のゲーム機を買ったと七瀬さんから聞きまして。このソフト、シリーズで追っていると以前言っていましたよね?」
「うん、……ありがと、」
歯切れの悪いハジメに、明智は小首をかしげた。
「もしかして、どなたかからのプレゼントと被ってしまいましたか」
「いや、そうじゃないんだ。こないだ本体売っちゃってさ、」
「売った?苦労して買ったばかりだったでしょう」
「や、お金足んなくて。あ、だから、その……」

ハジメは自分の失言に気づく。明智はぴたりと停止して、チラリと手元のメガネケースを見た。
ハジメは恥ずかしさに逃げ出したくなった。こんなの、明智にプレゼントを買うためにゲーム機を売りましたと白状したようなものだ。この不自然な必死さは、どんな言葉を並べても誤魔化しようがない。

しばらく車内に沈黙が降りた。居た堪れなくなって口火を切ったのはハジメの方だ。
「ごめ、明智さん、その……プレゼント、ありがと!本体は友だちも持ってるやついるし、そいつん家で」
「きみは、」
車を降りようとしたハジメの腕を明智は掴む。ハジメは高鳴る心臓に鎮まれと念じながら、明智を見た。ともすれば、鼓動まで聞かれてしまいそうな距離だ。

「きみは、賢者の贈り物という物語を知っていますか」

「……へ?」
予想外の反応に、ハジメは素っ頓狂な声を上げる。明智は口をつぐみ、ハジメの腕を離した。
「……すみません、忘れてください。その、今日は本当にありがとうございました。胸がいっぱいで……言葉になりません、」
「お、おれも、お腹いっぱいだよ。ごちそうさま」
ハジメはドアノブに手をかけ、滑り落ちるように外へ出る。
「じ、じゃ、気をつけて帰ってね、」

ハジメはバタン、と勢いをつけてドアを閉めた。明智はハジメの姿が完全に家の中へ消えるのを見届けた後もしばらく、その場から動けなかった。たっぷり数分が過ぎてようやく聞こえたエンジンの音に、ハジメは玄関にもたれかかったまま静かに息を吐いた。

明智さん帰っちゃったの。ことづけたい浅漬けとかおかずとか、色々あったのに。
母親の言葉に適当な返事をして、ハジメは自室へと駆け込む。頭の中はもうそれどころではなかった。

賢者の贈り物で検索をかけ、画面に表示された内容に顔を覆う。ゲーム機を売った金で明智へのプレゼントを買ったのだと完全に気付かれている。羞恥のあまり、いっそのこと消えてしまいたい。

スマホの画面が突然暗くなり、震えながら着信を告げた。今まさに考えていた人物、明智健悟の4文字に鼓動の速さがピークに達する。ハジメはしばらく小さく震えるスマホを睨んだ。諦めずに震え続ける様子に観念し、着信する方向へ恐る恐る指を滑らせる。

『金田一くん』
「明智サン」
繋がった電波の間で互いを呼ぶ声が重なる。わずかな沈黙が訪れた。ハジメが息を詰めたのを察し、明智はもう一度、改めてハジメの名前を呼ぶ。

『金田一くん、今日は本当にありがとうございました。今まで生きてきた中で、1番うれしいプレゼントでした。ゲーム機のことですが』
「ねぇ、もう忘れて、お願い、」
『死んでも忘れません。ゲーム機のことですが、先ほど注文したので明日には私の家に到着します』

ハジメはう、と息を詰まらせる。
「あんた何考えてんの!ソフトだけで十分、」
『きみに買ったわけではありません。私が、私のために買ったものです。本体は、明日には届きます。きみはもうすぐ冬休みですよね。だから、好きな時に私の家に来て、遊んでください。宿題も見てあげますから、』
早口にまくし立てる明智に、ハジメは目を瞬かせた。
「あんた、仕事は、」
『……正直に言うと、今日しか休みがないと言ったのは嘘でした。実は今日から年明けまで休みなのですよ。呼び出しがあれば登庁しますが……。すみません、きみのイヴを独占したくて、嘘をつきました』

電話の向こうで相手が息をついた。金田一くん、と小さく呼ばれた声はあまりにも弱々しく、ハジメは自分が何も言葉を発していなかったことを思い出す。
「聞こえてるよ、明智サン、」
『……私は本当に卑怯でした。きみに伝えたいことがあります。また時間があるときに、会ってくれませんか』
「会う。会いたいよ。おれも、あんたに会いたい」

今すぐ、の言葉をハジメはなんとか飲み込む。
「おれ、明日も学校だけど、放課後なら時間あるよ。明日も会える?」
『明日。では、学校が終わる頃、お迎えにあがります。……金田一くん、』
「な、なに」
『メリークリスマス』
うつくしいテノールが、耳に入り込んでくる。ハジメは直接言われるには耳慣れないその言葉をこそばゆく思った。
「メリークリスマス、明智サン」
ハジメの声に、明智が微笑む気配がした。おやすみなさいの優しい声で電話は切れた。

どんな顔で会えばいいのだろう。
ハジメは通話の切れたスマホの画面をしばし見つめる。プレゼントを喜んでくれた。イヴを独占したかったと言われた。握り締めたケータイが勝手に指紋を認証し、明智の着信があるまで開いていたページを映し出す。

貧しい夫婦がそれぞれの宝物を売り払った金で、互いにプレゼントを贈り合う物語だ。互いに1番の宝物を売ったせいでプレゼントは台無しになるが、互いへ思いやりを贈り合った夫婦を世界で最も賢い者たちと評して物語は終幕する。

ハジメの“思やり”を受け取った男は、明日何を伝えるというのだろう。
ハジメは暗くなったスマホの画面をぼんやり眺める。
ハジメには、明智が最後にクリスマス当日まで開封できないプレゼントの箱を寄越してきたかのように思われた。

明智の伝えたいこととは何なのか、果たして箱の中身は何なのか。好奇心をかき乱されたハジメは、子どもの頃に戻ったように眠れぬ長いイヴの夜を過ごすのだった。