お引っ越し

「なんかお引っ越しがしたいなぁ」

と、ハジメが言った。

ハジメが子どもを産んでひと月と半分が経過した。

夏はいよいよ盛りとなっていて、我々が拠点としている書斎の大きな窓からはもくもくとした入道雲が見えている。

それぞれが素晴らしい三匹の子どもたちは歩き出し、目が離せない日だ。

ハジメがつぶやいた時、私は一番ハジメに似ていて一番じっとしていられない、一番目に生まれた一番目くんを書斎の出入り口で捕らえたところだった。

トラ柄の彼を口に咥え、ハジメの横に降ろしてやる。

ふかふかのブランケットに降ろされた一番目くんは満足げにひと鳴きして、ハジメのおっぱいをゴクゴクと飲み始めた。

「引っ越しというと、どのあたりに」

私はニ番目にじっとしていられない、二番目に生まれ私とハジメを足して割った雰囲気の二番目くんを迎えに行きながら尋ねる。

ハジメはうーん、と言って顔を掻き、大きなあくびをひとつした。

「もうちょっと、お台所に近い場所がいいのかなぁと思って」

今にも本棚に登ろうとしていた二番目くんの首根っこを咥え、持ち上げる。

ミャーミャーと異議を唱える声には聞こえないフリをして、彼もハジメのとなりへ降ろしてやる。

冒険を邪魔された二番目くんであるが、ハジメのおっぱいを見つけるとそれはそれで嬉しいらしい。

小さな鳴き声をあげて、彼もハジメのお腹へ顔をうずめた。

「明智が帰ってきたら相談してみましょうか」

私はハジメの下に潜り込んで数十分が経過した三番目くんの腰を掴み、引っ張り出しながらハジメに訊ねる。

私の生写しのような容姿をした三番目くんは、三匹の中で一番の甘えん坊だ。

ただし、その対象はハジメと金田一くんにだけに限る。

ハジメに咥えてもらうのが大好きな三番目くんは、ハジメの視野に入るところで迷子のフリをするような計算高さが持ち味だ。

引きずり出された三番目くんはひどく不機嫌な顔で私を睨み、ハジメの背中にべったり抱きついた。

「それでもいいけど、できるだけ早く引っ越せないかなぁ」
「と、いうと」
「今日の内とかさ」

ハジメは甘ったれてよじ登ってきた三番目くんの頭を前脚でポンポン撫でる。三番目くんは、ゴロゴロと大きな音で喉を鳴らす。

「なるほど」

私はこくりと頷いた。

好きな子が言うことはなんだって叶えてあげたいと思うのは、自然の摂理だ。

三匹の子どもたちが無事にバスケットの中に収納されたことを確認し、私は早速引っ越し先に適した場所を探すため探索に出ることにした。

書斎から廊下に出ると、ちょうど円盤型掃除機がやってきた。

私はその上に乗って後ろ足で立ち上がる。こうしたら、ちょっと高い位置から家の中を見回ることができるのだ。

ハジメは台所への近さを優先したいようだが、引っ越し先には他にも必要な条件がいくつか考えられる。

子どもたちに危ない物が置いていないかとか、日差しが強すぎないかとか、色々だ。

キッチンにいちばん近いのはリビングルームだけれど、人間が食事をするこの場所は子どもたちには合わないだろう。

明智と金田一くんが一番イチャイチャする寝室は論外、明智のトレーニングルームも危険な物が多すぎる。

どうしたものかと思案する私を乗せて、円盤型掃除機は金田一くんの部屋へ進んだ。

引っ越してきて日が浅い金田一くんの部屋には、そんなに物が置いてない。

そして部屋の真ん中には、ふかふかのカーペットが敷いてある。

ここは良いかもしれない。

上を見上げれば窓も二箇所あって風通しは悪くないし、金田一くんはリビングにいる事が多いから迷惑もかけないだろう。

私は円盤型掃除機から降りてペットカメラの方へ向かった。

明智に引っ越しの報告をするためだ。

ペットカメラは、ボタンを押すと明智のでんわに繋がるようになっている。

『引っ越しは構いませんけど、ハジメくんはなぜ突然引っ越しなんて言い出したんでしょうね』

明智は私の報告を了承しつつ小首を捻った。

そんなことは私に聞かれても、分からない。

『まあ良いでしょう。十分気をつけて、引っ越しをするんですよ』

私はでんわを切って、書斎で待つ家族の元へ向かった。

 

***

 

「それでは、今からお引っ越しを始めます」

後ろ足で立ち、開幕を宣言する。

子どもたちとハジメからオオ〜というどよめきと拍手が起こった。

「行き先は金田一くんの部屋です。行ったことがあるのは、好奇心旺盛な一番目くんだけですね」

トラ柄の一番目くんが、ミャー!と元気な声を上げる。

「この家は無駄に広いので、迷子になるかもしれません。書斎を出たら二番目くんは私が、三番目くんはハジメが咥えて行きますよ。一番目くんは、しっかり着いてきてください」
「ミャーミャー!
「ミャーミャー!」
「ミャーミャーミャー!」

こうして大引っ越し大会が始まった。

色んなものに興味を持つ子どもたちを連れての引っ越しは大変だ。

書斎の出入り口まで引率するだけで、何度も隊列が乱れる。

私とハジメは、まるで好き勝手な方向へ行く子羊たちを引率する牧羊犬だ。

「今から廊下に出ます。みなさん、右を見て、左を見て、また右を見てください。危険なものはありませんか。何もありませんね。それでは二番目くん、行きますよ」

ようやく書斎の入り口まで辿り着き、二番目君の首根っこを咥える。

私はもう一度右左を見て安全を確認し、二番目くんを咥えたまま歩き出した。

その後をトラ柄の一番目くんが追い、三番目くんを口に咥えたハジメが列の一番後ろから着いてくる。

廊下から五歩ばかり進んだあたりで、私は自分の采配ミスに気がついた。

あっちにキョロキョロこっちにキョロキョロの一番目くんを歩かせたのは、失敗だったようだ。

信じられないような鈍行ぶりで、行列は金田一くんの部屋を目指す。

一番目くんをうまく誘導したいのに、口に子どもを咥えていては思うように進まない。

一度金田一くんの部屋に二番目くんを置いて、一番目くんを迎えに行こう。

そちらの方が絶対早い。

そう計算した私は、ハジメと子ども二匹を残し、足早に金田一くんの部屋へ向かった。

あらかじめ移動させていたブランケットの上に二番目くんをそっと乗せる。

二番目くんは早速新しい部屋の中を探検し始めた。

「見慣れないものには、触ってはいけませんよ。ソファーで爪研ぎも禁止です」

私が注意事項を述べる間に、廊下の方から悲鳴が聞こえた。

「ミャー!!!」

慌てて廊下に出ると、円盤型掃除機が目の前を通過して行った。

あろうことか、その上には一番目くんが乗っている。

四つ足をプルプルさせる一番目くんを乗せ、円盤はリビングの方へ向かって走る。

「ミャー!!!」
「一番目くん!……ハジメは他の子どもたちを見ていてください!」

私はハジメに伝え、円盤を追いかけた。

 

ミャーミャー鳴き続ける一番目くんを乗せて、円盤はリビングを縦横無尽に走行する。

「一番目くん、降りられますか!」
「ミャーミャー!」
「降りれないんですね!」
「ミャー!」
「すぐに助けますから、待っていなさい!」

私は急いで物置へ向かった。

目的のものはすぐに見つかった。

明智が金田一くんと結婚する前に使っていた、一世代前の円盤型掃除機だ。

掃除範囲が狭いため明智が買い替えたが、電源を点けるとまだ難なく起動する。

今、一番目くんを乗せて動いている円盤の軌道は、大体把握している。

そしてこの旧式の掃除機の軌道も覚えている。

私は頭の中で、一番目くんを乗せた円盤とこの円盤が柔らかなカーペットの上でぴったり並走するタイミングを計算した。

「今です!」

円盤に飛び乗り、スタートスイッチを押す。

円盤は私の記憶通りの軌道で掃除を始めた。

ふたつに増えた機械音に、悲痛な一番目くんの鳴き声が混ざる。

「いいですか。今から約三十秒後にこの円盤と君の円盤はカーペットの上を並走します」
「ミャー!ミャー!!」
「ですからそのタイミングで、私が君を円盤から助けてあげます!」
「ミャーミャー!ミャーミャーミャー!!」
「……あの、聞いてますか?」

泣き叫ぶ一番目くんと私は、部屋の中で近付いたり離れたりを繰り返した。

さながらフィギュアスケートのペアダンスの様相だ。

「次にカーブを曲がったら、そのタイミングです!」

一番目くんを乗せた円盤が大きく部屋をカーブする。

その時、一番目くんが円盤の上でバランスを崩した。

「危ないッ!!」

私は円盤から飛び降りた。

身を投げ出して、目一杯腕を伸ばす。

その上に一番目くんは落ちてきた。

「よかった……!」

私は手の上に落ちてきた一番目くんを抱きしめた。

我が子は私の胸に顔を埋めて、安心したようにミャアミャア大きな声で泣き出した。

 

「大事にならずよかったです」

引っ越し先の金田一くんの部屋で、一番目くんを毛繕いする。

一番目くんは大冒険に疲れたのか、ハジメのおっぱいを飲みながら夢の国だ。

「助けてくれてありがとう、アケチさん」
「子どもを助けるのは当然です」

二番目くんと三番目くんも慣れない引っ越しのせいか、おっぱいを吸いながら寝てしまった。

「おとーちゃん、とってもかっこよかったね」

ハジメは眠っている子どもたちの頭をそれぞれ舐め、にっこりと微笑む。

私も子どもたちを挟むようにして寝床へ寝転がる。

ハジメのふわふわとした頬と世界一上品な耳元を何度か舐めて、彼とヒゲ先を触れ合わせた。

「アケチさん、今しあわせだなぁって考えてたでしょ」
「どうして分かるんです」
「だっておれも、おんなじ気持ちだから」

ゴロゴロと、大きな音でハジメが喉を鳴らした。

***

「ただいま」

金田一くんが帰ってきた。

子どもたちはパッと目を覚まし、大騒ぎで玄関へ向かう。

「ミャーミャー!」
「ミャーミャー!」
「ミャーミャーミャーミャー!」

「ただいま、みんな」

洗面所へ向かい、手洗いする金田一くんの脚に三匹は群がった。

「おかえりなさい」

私もハジメと共に部屋から出て、金田一くんを出迎える。

「ただいま。……ちょっと、トイレに行ってもいい?」
「どうぞ」

私たちは子どもたちをなんとか金田一くんから引き離す。

 

金田一くんは子どもたちから絶大な支持を得ているから大変だ。

みんな金田一くんと遊びたくて仕方なく、彼がどんなに疲れて帰ってこようと喜んで飛びつく始末だ。

おトイレから帰ってきた金田一くんに、ハジメがおずおず近寄った。

「あのね、おれたちのゴハンは明智さんにしてもらうから、金田一くんは横になってていいよ」
「……なんでわかるの?」
「おれ、先輩だから」
「すごいね。おれだって、たった今判ったとこなのに」

何の話か分からない。

金田一くんとハジメは、時々こういうふたりにしか分からない会話をする。

私は少ない材料から話の流れを推測するしかい。

「金田一くんは、体調が優れないのですか」
「実は今朝、ちょっと気分が悪かったんだ。でも今は平気だよ。みんなは今日、お引っ越しをがんばったんだってね」
「ええ。ハジメが台所に近い方が良いと言うもので……金田一くんのお部屋では、ご迷惑でしたか」
「ううん。むしろ気ぃ遣わせて悪いね」

ハジメは仔猫三匹を手に抱いて、台所へ向かった。

ますます何の話だか分からなくなった。

ハジメの方を見ても、満足げにヒゲを揺らしているだけだ。

金田一くんは片手に三匹の仔猫を抱いたまま、器用に私たちのゴハンと新しいお水を準備してくれた。

子どもたちには、ふやふやにふやかしたゴハンを一匹分ずつ器によそってくれる。

最近彼らは離乳食の練習を始めたのだ。

「ハジメ。金田一くんは、本当は深刻な病気に冒されていることを隠しているんですか」

私は声を低めてハジメに尋ねた。ハジメは笑って首を振る。

「ちがうよ」
「でも君が引っ越ししたいと言い出したのは、金田一くんのためでしょう。台所と私たちの棲家が近い方が、ゴハンやお水の支度が楽だから」
「その推理は正解。でもここから先は、おれからは言えないな。きっとその内金田一くんからお知らせがあると思うから、これ以上は秘密だよ」
「君たちだけの秘密なら良いですが、明智も知っていて私だけ仲間はずれというのであれば、少し拗ねますよ」
「多分明智さんもまだ知らないから安心して」

ハジメはこのお話は終わりというように、私の頬にキスをした。

食事が済むと、腹ごなしの運動会が始まる。

金田一くんが子どもたちと遊んでくれている時間はハジメを独占できる貴重な時間だ。

金田一くんがヒラヒラさせる羽根のオモチャにはしゃぐ子どもたちを見ながら、私はハジメの毛を整える。

ハジメの毛は、子どもを産んで少しツヤがなくなった。

元から自分のことに無頓着なハジメのために、私は彼を目一杯労わる。

「ねむたいねぇ」

毛繕いが心地よかったのかハジメがあくびをしたので、私はハジメにふかふかのお腹を提供した。

ハジメは喉を鳴らして私のお腹に乗ってきた。

「アケチさん、あったかぁい」
「ふふっ」
「今日のアケチさん、頼りになってとってもかっこよかったなぁ」

ハジメはそう言うと小さな寝息をたてはじめた。

なんて素敵な子だろう。

私はハジメに褒められたのが嬉しくて、ハジメを起こさないよう小さな音で喉を鳴らす。

母猫の束の間のうたた寝は、明智の帰宅で終了した。

「ただいま、金田一くん。それにみんなも」
「おかえり、明智さん」
「「「ニャーニャー!」」」

明智はジャケットを脱いで金田一くんの隣にしゃがみ込む。

「今朝は顔色が悪かったように見えましたが、体調は平気ですか」
「うん」
「良かった……。すぐ夕食にしますから、座っていてくださいね」

明智は金田一くんのこめかみにキスを落とす。

立ちあがろうとした明智の服を金田一くんはギュッと掴んだ。

明智は少し驚いた顔をしたけれどすぐに笑顔になって、金田一くんの隣に座り直した。

「どうしましたか」
「あのね明智さん、それにみんなも。言うのは早すぎるかなって思ったんだけど、おれ、報告があってね」

明智も私も息を呑む。

子どもたちもクリクリとした瞳を、一斉に金田一くんへ向けた。

「えっと……来年の春ごろに家族がまた増えると思うので、よろしくお願いします!」

 

 

 

✳︎ こちらのお話のイラストを、リクエストいただいたクワさんからプレゼントしていただきました(//∇//)